2009年12月20日日曜日

新聞投稿原稿

出雲をこよなく愛しておられる 七歩の詩さんの出雲大社の思いが このたび
地元新聞の投稿欄へ 掲載されました。こちらから ご紹介♪



「やわらぐる 光や空に 満ちぬらむ 雲に分け入る 千木のかたそぎ」…今から800年前、京都をたってはるばる出雲の国の杵築大社(出雲大社)へやってきた寂蓮法師は、目の前にそびえ立つ神殿のその圧倒的な高さに驚かされた。

さらに200年さかのぼった西暦970年、源為憲が著した『口遊(くちずさみ)』には、当時の高層建築が高い順に「雲太、和ニ、京三」と書かれている。

出雲大社が一番高く、二番が大和(奈良)の大仏殿、三番目が京都の大極殿となる。
大仏殿は当時15丈(45m)あり、出雲大社はそれより高く16丈(48m)あったとされる。 

古伝によると本殿の高さは景行天皇の時代には32丈(96m)あり、その後度重なる倒壊などで徐々に低くなり、やがて現在の高さ8丈(24m)になったとされている。




「宇豆柱」


本殿の高さについては、柱の位置をしるした「金輪造営図」など古い資料はあるものの、長い間その信ぴょう性が問われていた。しかし2000年(平成12)年に境内の地中から掘り起こされた巨大な杉柱3本を束ねた「宇豆柱」の出現によってにわかに現実味をおびてきた。 

寂蓮が見た出雲大社は、まさに屋根の千木が雲の中に分け入って見えなくなるほどの高さであった。
超高層建築出雲大社は間違いなく実在していたのだと私は信じる。



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